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『rakugoオルタナティヴ vol.5 「柳家と立川」』@草月ホール
柳家さん喬と立川志らくの二人会という危険な企画。 この「柳家と立川」という一連の企画は、 ぴあの企画者(名前失念)がさん喬師匠から「立川流は勢いがある」という発言を聞いて、 その一連の話を独り占めにしておきたくないからという理由からはじまったという。 「反立川流」の急先鋒と目されるさん喬師匠にこの企画持ちかけたところ快諾を受けたという。 誰もが予想しなかったこの企画。 志らくさんも以前さん喬師匠の死神を聞いた時、 記憶にあるさん喬師匠の話しぶりとはほど遠く、 大げさな演出に困惑していた。 多少、批判的な姿勢であったのではないか? そのような二人が二人会で一騎打ち!何かが起こると予想していた。 ○柳家さん弥「夏泥」 よく知らないので、柳家さん弥さんのプロフィール。 2000年 柳家さん喬に入門 前座名「さん角」 2004年 二ツ目昇進 四代目柳家さん弥と改名 落語協会所属。 以前一回聞いたことがあるがネタは記憶に無い。 比較的ベテランの二つ目を持って来た感じ。 いかにも寄席育ちという素直な落語。 ○立川志らく 「らくだ」 この決戦の場に、 ZAZEN BOYSのライブで、大勢の若者相手に大受けだった「らくだ」を持って来た。 志らくのクレイジー落語としては、鉄拐、疝気の虫につづく代表作。 しかし、緻密に談志落語を丁寧に継承する演出。 マクラは、人の悪口と自慢話ばかりというが、それが楽しみの一つ。 らくだに入ろうとして、こぶ平とさん喬の二人会の話に。 こぶ平がこの志らくさんとの二人会の話を聞きつけて 「懲らしめちゃって下さいよ!」なんて言ってたらしい話。 ○柳家さん喬 「井戸の茶碗」 くず屋主演の話を当ててくるのは、寄席の技術ということか。 でもそれくらい寄席で無くても発想できる。 さらに、寄席育ちをアピールする、前の出演者の落語を受けてのくすぐり。 でも、そんなこと志らくさんは自分のマクラやネタを次の演目にかぶせてくるという訓練を積んでいる。 その重層性が志らく落語の醍醐味の一つ。 この正攻法の落語。まっとうな健全な落語。 その良さも重々判るが、それに飽きる人と飽きない人がいるということをさん喬師匠は理解していない。 予定調和とワンアンドオンリーの落語、それは両方好き嫌いがあるってこと。 <仲入り> 対談:さん喬VS志らく さん喬さんは、落語協会で 志らくさんの師匠立川談志の弟弟子。 談志が協会を飛び出した敬意を目の当たりにした そのショックはいまだに尾を引いている。 そのこととの決別の時期に来ているということだろう。 「立川流には勢いがある」という発言についての心意を、と進行役が話を振り、 「そんなこといったけ?」ととぼけつつ対談が始まる。 あくまでもさん喬師匠は「反立川流」であるという前提で、 立川流に勢いがあることを認めざるを得ないといった感じ。 後の発言も踏まえると立川流の勢いの影響が大きすぎて 今後の落語の行方を心配しているといったニュアンスが感じられた。 さん喬師匠をよくは知らないが、できれば人前で悪口は言いたくないというかんじの人ではないか。 つねに口にした「反立川流」この言葉が唯一出た悪口であった。 寄席というものの大切さをしきりに語るさん喬師匠。 二人が一致したのは、 二人が影響を受けた名人たちはみんな当然寄席育ち。 寄席の必要性は認めつつも 志らく師匠は寄席が無くても育った自分のプライドもある。 そこで立川流の中でも寄席がよいが必要な落語家もいるという形で 志らくさんは寄席の必要性を説明。 さらに立川流は、成功者と失敗者が両極端だということ。 育ったのは四人だけ。 でもさん喬師匠はそれは協会に比べれば高い打率だという。 5代目小さんが「立川流」を容認していたという話。 さん喬師匠も小さんが談志を嫌ってはいなかったことを認めつつも 志らくが花緑・小さん三人会で爆笑「文七元結」をやって一万円の小遣いをもらったエピソードには、「私の十年間は何だったのか?」とちょっとショックを受けていたよう。 さん喬師匠が立川談志の優しかった思い出話もよかった。 そして志らくさんの落語を聞いていて談志に似ている話しぶりを見て 「本当に談志さんを好きなんですね」と。志らくファンとしては本当に嬉しい言葉だった。 そして喬太郎さんは談氏の弟子になるべきだったというと 志らくさんは、喬太郎と同級生だった話をして、 喬太郎が談志の弟子になると言い、志らくは馬生の弟子になりたいと言っていたエピソードを。 柳家とか協会とか立川流とかいっても結局は落語家は個人であるということは重要なこと。 もし家元が亡くなったら、総領弟子は家元は継ぐ力がないし、 志の輔が嗣いだとしても志らくさんはついては行かず、 市馬や花緑と関係を持ちつつ、志らく一門だけで行くだろうという。 志らくさんから質問が唯一あった。 談笑のエピソード。談笑がさん喬・権太楼と同席した時に「けれん」の話をしたという。 その意味を少し詳しく聞きたいという。 「けれん」とは、その場限りの笑いとのこと。 そのような笑いは客を馬鹿にしているという。客を言葉であしらっている姿勢が気に入らないというかんじか。 心で笑わせることの重要性をさん喬師匠は言っているのだろうが、 私は、あまり合点がいかなかった。 その客あしらいは、私は寄席で感じたからである。 私は、三回しか寄席に行ったことがないが、 そのすべてでなにか公務員的な、サラリーマン的な姿勢を寄席の落語家に感じたのである。 寄席を愛する人たちがいるということは、私の経験が例外であるということだと思うが、 個人的には、寄席育ちが良いとかわるいとかは関係ないと思う。 落語家個人がもがいているかどうか、自問自答しているかの違いであると思う。 さん喬師匠がふと「志らくさんは自分のマクラは悪口と自慢話と言ってたけどそのとおりだね」ということばにずきっ!さん喬師匠志らくさんのことあまり評価していないのかな? しかし、自惚れも必要だし、そう思わざるを得ない状況も理解できるなど 本当に複雑で矛盾だらけの発言の連続。実に面白かった! 記憶のあるうちに思い込み含めたメモを書いておきました。
内幸町で始まった立川志ら乃独演会に行ってきました。
がらがらの会場には不安たっぷり。手伝いにはらく兵さんしか来れなかった模様。それもそのはず、偶然隣席になったいくっちさんの情報では、立川流の会がずいぶん重なっていたようです。むしろ、こういう規模の客の方が掌握しやすいんじゃあないでしょうか。結論から言えば、今日の会はすごく好かったと思います。 今日感じたのは、落語家というのは、催眠術師のようなもので、いったん、ある程度の客を掌握してしまえば、その掌握した客を誘導して、笑わせたり泣かせたりする。その客に影響を受けて、催眠術に掛かっていない客も笑ったり泣いたりする。そんな印象を受けました。まだ、全然、完全掌握とまではいっていないんですけど、そんな方向性が見えてきたような気がします。 全体の構成もすごくうまくいっていたと思います。 ○らく兵「初天神」 本当に久しぶりのらく兵さんの高座。宮崎市出身落語家として期待しております。ずいぶん口調が良くなって、落語にリズムが出て来たようです。相変わらず噛んでしまうのはしょうがないですね。志ららさんくらい噛めばそれを武器に出来るんでしょうけど・・・。 ○志ら乃「寄合酒」 枕で話した談春師匠とのエピソードが、このあとの鼠穴への複線となっていたように感じる。厳しい兄の存在を意識させる効果を出していた。とくに鼠穴では枕無しで、話を始めたので、ここでの談春師匠の話が効果を出していましたね。 「寄合酒」は、ずいぶん久しぶりにかけるとのことだが、志ら乃さんに一番伸びしろがあった頃によくきいた演目。鰹節の鬼がとにかく怖かったのを覚えている。志らく師匠の狂気を引き継ぐ瞬間だった事を思い出す。昔の方が狂って見えて気がするのは慣れのせいでしょうか?とにかく志ら乃さんのこの話は面白いので、私はもっと効果的に使ってほしい気がします。 ○「崇徳院」 みんなの困り具合がよく表現されていて、とにかく楽しかった。なかでもギャグのリフレインがいいですね。しつこいくらいに繰り返す。「ジェームス小~判」系のリフレインは、とにかく楽しいですね。演目の中だけでなく、独演会全体で、こういう細かな伏線を張るのが、志らく落語の真骨頂だと思っているのですが、ぜひ志ら乃さんにも戦略的に伏線を張り巡らせてほしいですね。 <中入り> ○志ら乃「ねずみ穴」 臨機応変の対応も見せ、なんとか集中力を途絶えさせることなく最後までやり遂げた。真打ちに昇進するには十分の実力を見せたと思います。 久しく、志ら乃さんの独演会について不満足だったのですが、今日の独演会は、全体の構成がよくできていたんだと思います。志ら乃さんの場合、一つ一つの演目に問題があるのではなく、独演会としての、全体の構成に問題があったのではないかと思っていたのですが、今日の会を見て、確信を得ました。 このあと二回分チケットを買っていたのですが、期待できそうでますます楽しみになりました。
『談志 最後の落語論』という本が出て、志らくさんの『シネマ落語』購入のついでに買った。
一気に読んでしまったが、一つだけ気になった箇所があった。 それが「江戸の風」という言葉である。 基本的に上方落語に関しては書いていないので、江戸落語のみを取り上げているのだろうが、これは言葉を間違えているのではないかと疑問に思っていた。むしろ「落語の風」と行った方が現代落語論を展開した家元としては適切なのではないかと・・・。 と思っていた矢先、志ら乃さんのトライアルの志らく師匠の評で、家元の本の「江戸の風」という言葉を取り上げ、「「江戸の風」が吹くかどうかなんだよ」というような言葉が出た。それ以降、志らく一門では「江戸の風」という言葉がはやっているという。 でも、「江戸の風」でも、「落語の風」でもいいが、「それって、立川流では、追い求めるものではなかったはずじゃないのか」、という疑問がこのところ離れない。 花禄さんもこのことに言及していたが、礼賛する言葉ではないような気がする。 http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100107/tnr1001071609002-n1.htm この「風」というものは、追い求めるものではなく、結果的についてくるもので、一朝一夕に身につくものではない。しかし、みんなこれにあこがれて落語をやろうとして、名人の方をまねして、落語の風を深そうと努力をした結果、自分の時代の落語のスタイルを構築することなく、ソバの食い方に江戸の風を吹かそうとしたり、日常会話から江戸弁にしたり、協会の落語の衰退に通じてきたという分析だったような気がする。 そういう現代落語論に影響を受け、今の中堅の落語家たちが切磋琢磨してきたはずが、やはり「江戸の風」なんだよといわれて、「はいそうですか」と引き下がってはいけないのだと思います。 もっともっと新しい時代に合った落語、時代におもねるのではなく、新しい時代の若者も江戸の落語を知りたくなる、窓口となるような落語をやるべきなんだと思います。 それを追求することで結果的に風が吹いてくるかを問題にするのは、若手ではなく、中堅以上の落語家の問題であって、若手に「江戸の風」を求めては、せっかくの現代落語論が台無しになってしまうと思うのです。
この人物のオモテとウラ 柳家花緑(噺家) (ゲンダイネット)
●「破局報道」から一転、「新女性」出現!! 今年5月に林家きく姫(39)と別れていたことが明らかになった柳家花緑(38)に、結婚を前提とした42歳のOLがいることが19日、分かった。 《すでにきく姫さんと私はお互いに別々の新しい道を目指して歩み始めています。温かく見守ってください》――。 破局が報じられた14日にはWEBサイトでそんな殊勝なことを言っていた花緑。見ようによってはきく姫へのツラ当てと思われても仕方がない? 花緑は87年、祖父で人間国宝だった5代目柳家小さんの内弟子となり、94年、真打ちに昇進。22歳の史上最年少真打ちとして話題を呼んだ。片やきく姫は87年、林家木久蔵(現木久扇)に入門。01年、真打ち昇進を果たし、4人目の女性真打ちとして注目された。そんな2人が婚約したのは01年。03年には結婚する運びになっていた。 「そのころの2人には、落語の振興に一役も二役も買ってくれるだろうと期待感がいっぱいでした。そんなことから落語界も祝福ムードにあふれていましたね」(芸能リポーター) ●「女将さん」業がネックとか ところが、02年に小さんが亡くなるや、結婚は延期。そしてその後は未入籍のまま過ごしてきた。いわゆる“事実婚”である。しかし、そうであっても2人は「花緑・きく姫の『落語がいっぱい』」(03年)というDVDを出したり、また、最近までNHK「知るを楽しむ~歴史に好奇心~」でも2人でナビ役を務めるなど、人もうらやむ二人三脚ぶりを見せてきた。別れる理由はどこにも見当たらなかったが、口の悪い噺家(はなしか)連中からは、「きっと花緑に女でもできたんでしょう。花緑くらいの人気者ならば、女の一人や二人いても不思議ではない」といわれていた。 それがこの新恋人だったのだ。 「以前、NHK朝の連ドラ『ちりとてちん』という噺家同士が結婚して師匠の一門を引き継ぐというドラマがありましたよね。そこでのヒロインは噺家をやめ、内助の功に徹したものですが、きく姫がお女将さん業もやっているという話は聞いたことがない。ひとつ例を挙げれば、弟子は師匠の家で朝夕の飯を食わせてもらって寄席に出るのが習わしですが、花緑のとこにはそれがないという話だ。花緑もそれはまずいと思い始めたんだろうね。しかし、きく姫は仕事をやめたくない。それで別れたらしい。このOLが家を守ってくれれば花緑も弟子たちに面目が立つだろうね」(先輩噺家) 新恋人は2年以上前から花緑の“追っかけ”をしていた熱烈なファンだったという。落語のイベントを通じて知り合い、交際がスタートしたのは今年8月。気配りの行き届いた優しいところが花緑のハートを射抜いたらしい。「花緑は意外に真面目」(若手噺家)といわれていたが、本当は手が早かった!? (日刊ゲンダイ2009年12月21日掲載)
今日こそは当日券目当てで早く並んで来月のチケットもゲットしようと意気込んでいたのですが、締め切りを過ぎた原稿がまだ目処が立たず、泣く泣く自宅で進まない筆を握りしめていました。
とりあえず、10時にぴあに電話してみたのですが、相変わらず数秒で完売。みなさんどうやっているんでしょうか?ネット経由の方がよいのかも知れませんね。来月は早退できそうにないので、復活できるとすれば7月からになりそうです。
吉祥寺から早めに新宿に移動。5:45から並び、早めのサイン会を待つ。
私の番となり、いつものように会釈。「あっ、渡邉さんだ。今日はなじみが多いから中村仲蔵にしよう」と、ぽつりと。そのあと、一時間近くして、会が始まった。 ○ごあいさつ 別名『青めだか』。といっても便乗ではない。なぜなら『らくご小僧』の後書きに、その続編である修業時代の話を書くと宣言しているから。ただ、出版の話がその後こなかったので、出していなかっただけ。とのこと。『赤めだか』がいかに嘘だらけかを明らかにする。 ○高田文夫&立川志らくトーク 陣内ネタで登場。談春が太ったらしい(しばらく見ていないので分かりませんが)。 『雨ン中の、らくだ』に書かれなかった家元ネタを話すよう高田先生がうながす。志らくの繰り出すエピソードに「おまえ、今、オチ作っただろう」の連発。 暗い気持ちにさせるネタをやりますと言い残してはける。 サイン会の時の言葉とは違い「たちきり」をやるようだ。 ○「たちきり」 少人数しか参加できなかった昇太さんの会でやったあらたな「たちきり」を家元の前でやる。 あいかわらず志らくさんは自分がやりいたいことしかやれないんでしょう。 100日間会えないというのに会おうとする努力が見えないことに不満で、倉を逃げ出すシーンを付け足す演出。でもやっぱりこのネタ自体が苦手なんじゃないかと感じたら、そのことを次の家元とのトークで明らかになる。 一番のクライマックスで、舞台袖から家元の声が聞こえてくる。志らくさんは最初無視しようとしていたが、家元はしゃべり続ける。しょうがなく、「大切なお客様が・・・」と、見事な臨機応変な展開に・・・。しかし、志らくさんの頭の中では、さらなる展開がひらめいていたが自粛したとのこと。 ○立川談志&立川志らくトーク 家元かなり元気そうでした。 家元の落語では、登場人物が勝手に動き出して、制御不能になりそうだという説明は、『カイロの紫のバラ』を思い出し、むしろ面白そうな気がした。 「志らくの落語はいい。ちょっと聞いただけで分かる」とか、「本もぱらぱらっと読んだが、いいです」とほめていた。「熊じゃなくて、熊五郎」ということばで、家元が本を読んでいることが分かる。談春のは一切読んでいないという。「本なんてものはぱらっと読んだだけで分かる」という、喜んでいいのか、複雑なコメント。 今日のトークは、本当に奥の深い話でした。 家元の中には、二つの側面があり、芝浜をきっちりとやるスタイルと、人情話をきっちりやると恥ずかしいという側面と、アンビバレンツな二つスタイルの間で、もがいている印象を受けた。結局それで新橋演舞場で、「金玉医者」をやってしまうのだと。 その人情話を恥ずかしいと思ってしまう側面を唯一理解してくれるのが志らくさんだということのようです。おそらく家元にとっては、時期により体調により、その二つの側面を行ったり来たりしているのでしょう。 今は、誰よりも志らくさんにシンパシーを抱いているのでしょう。その辺の愛情がすごくあふれた言葉がたくさん聞くことができ、志らくファンとしてもうれしい時間でした。
○立川らく次「雛鍔」
静まりかえった広い会場。三回くらいさざ波が立ったのは偉い。 ○立川志らく・新作「吉良の忠臣蔵」 忠臣蔵も語る立場で話が変わってしまう。たとえて云えば『赤めだか』の志らくさんが悪人に描かれているが、『雨ンなかの、らくだ』を読めば「志らくさんはなんていい人なんだ」と分かるようなもの。という視点で忠臣蔵を描き直す。 出だし、喬太郎のような探り探りで、カップルの会話を江戸弁に落ち着かせていく。彼氏が吉良姓、彼女が浅野姓。吉良上野介がそれほど悪い人物なのではなく、描き方によって、話が変わってしまうという説明を、彼が吉良の側から語る。 最高に楽しい忠臣蔵。もう素直に忠臣蔵のドラマは見られなくなります。 <中入り> ○立川志らく「中村仲蔵」 古典落語の美学を踏襲しつつ、志らく流の解釈で再構成した。劇中で語られる芝居論は、まさに志らくによる演技論!競艇狂いとは説得力が違います! 取り急ぎここまで。
待ちに待った、大門寄席・第1回「立川志ら乃の真打ちになりたーい!」が、文化放送メディアプラスホールで行われました。
会場は驚くほど音を吸収する環境。親子そろって、文芸座といい、このホールといい、余り笑いが多すぎるので、そのようなホールを選んでいるのではと勘違いをしたくなる。ほど、しーんとしてしまう。 思えば、ある時期から志らくさんだけでなく、志ら乃さんもできるだけ追っかけるようにしてきたのだが、そもそも、志ら乃さんの「落語ってこんなに楽しいもんなんですよ」オーラに見せられたんです。マクラにしても、「聞いて聞いてこんなに面白い話があったんですよ」とか、「こんな落語覚えたんだけど、この話ってめちゃくちゃ面白いでしょ」的なニュアンスがびんびんに伝わってきていたんですよね。 それが、お客に選ばせる方式をとりだしてから、面白いでしょオーラが薄まってしまったような気がするんです。 そして、今回からのトライアルの続き。月にネタおろし4作。気持ちを込めるには可能な数ではないか。どこまで、その話への自分なりの面白さを見つけて、客に聞いて欲しいオーラを出すかがポイントなのではないかと見てきた。 ○立川志ら乃「初音の鼓」 今回、「初音ミク」つながりで、どうしてもやりたくて、急遽練習したという。とても急遽仕上げたとは思えないくらいに、ばかばかしく、楽しかった。 ○立川志ら乃「看板のピン」 あまりかっこよさが感じられず。らく次の「看板の談春」を抜けず。あれは新作か。 ○立川志ら乃「だくだく」 かなり笑えて、楽しかった。 〈仲入り〉 ○立川志ら乃「品川心中(上下)」 個人的には、この話への志ら乃さんの解釈が見えてこなかった。やはり立川流としては、長講に対しては、自分なりの解釈を持って欲しいと思うんです。今の段階でかまわないからこの話のポイントは個々だというのが見えてくると、全然違ったモノになると思います。そういう意味で、今回のネタおろし4席は、良くできていたとは思うのですが、今後、こんな感じでいくと、こなしている感が出てきてしまい、客選び方式の二の舞になるのではと危惧しています。 今後はもっと、「このはなしって、面白い話ですよね」って、感じで始まって欲しいですね。 取り急ぎ、感想を思いつくままに書いてしまいました。
今朝、職場の一人の女性から、志ら乃さんの真打ちトライアルに行きたいとのメールあり。
先日から職場の人たちにトライアル参加のメールを送っていたのである。あと、二枚売れるかも知れません。ありがたいことです。 「立川志ら乃真打ちトライアル」 4列1枚 6列2枚 7列19枚 9列26枚 11列21枚 残数合計69枚 「立川志ら乃真打ちトライアル」 11月7日(水) 開場 18:00 開演19:00 会場 新宿FACE http://www.shinjuku-face.com/ 木戸銭 3500円 全席指定 出演 立川志ら乃 立川志らく 夢空間(平日10時~18時)03(5785)0380
「志らくのピンPart III~古典落語編」
○立川らく次「黄金の大黒」 冒頭のネタ、紀伊国屋のチケットは「志らく談春二人会」だったら即完売なのに、大爆笑でした。 らく次さんは、基本的に笑ってもらおうとは思っていないんじゃないかと思うんです。志らべさんと違って笑い待ちしているところを見たことがないような気がします。そういうスタイルだと思っています。 ○立川志らく「替り目」 テレビに出演して後悔した話。祭りの番組で、いろいろなことがひらめいて、どうしてもいいたくなるのだが、一般的には言っちゃいけないことばかりが浮かんでしまうという。(そういうところが良いので、志の輔処世術を受けつがないでいて欲しい。ただし、地方に住んでいた私が志らくさんを知ったのはBSのシネマ落語「エデンの東」だったので、ぜひ落語家としてはどんどんテレビに出て欲しいところです。CD・DVDもどんどん出して欲しい。) 冒頭の鼻歌メドレーは、ほろ酔い気分が出ていて最高でした。「チューしてください」の発展系が見られたのは嬉しい。 ○立川志らく「唐茄子屋政談」 若旦那の思いがけずの表情に会場大爆笑! ギアチェンジの速さは最高ですね。 〈お仲入り〉 ○立川志らく「猫久」 軽い話こそ難しいという。軽やかでした。 ○立川志らく「だっきのお百」 怪談話は志らく師匠同様好きではないのだが、今日のような演出なら聞いてみたくなります。テンポ良く、怨念のリアリティーが薄まり、怖さに耐えられます。これも実に映画的な演出でした。それにしても主人公の名前「こさん」は、実に紛らわしい。 志らくさんの落語に飢えていたことを実感。まだまだ志ら乃さんだけじゃあ満足できません。 < 前のページ次のページ >
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